君子牡蠣に近寄らず
人間には必ず好き嫌いというものが存在する。
食べ物の好き嫌いはもちろん、音楽の好き嫌いや人間同士の好き嫌いもある。取捨選択を繰り返して自分の人間性を確立するのが当たり前である以上、好き嫌いという言葉から人間を切り離すことはできない。
今回はなぜこのような話になるのか、それは筆者である私は「牡蠣が嫌い」だからである。
好きな音楽は催眠音声。
好きな言葉は自己犠牲。
クソメガネです。よろしくお願いします。
・牡蠣が食べられない。
牡蠣が嫌いだと認識したのは子供の時である。
記憶が正しければ高校時代には既に嫌いだったかもしれない。余談だが柿もダメである。この話をすると高確率で「シャレかよ〜(笑)」と言われるが本気で牡蠣も柿も嫌いである。どれくらい嫌いなのか言い表すと戦争と同じぐらい嫌いである。牡蠣フライなんてもはやキューバ危機だ。
なぜこんなにも嫌いになってしまったのか、それは単純に「味と食感」であろう。最後に食べたのは恐らく10年近く前になるため味が思い出せない。思い出すために食べようとは思えないし、近くで牡蠣を見るとその見た目だけで食感が伝わってくるような気がしてしまう。
グニャッとした食感の後のなんとも言えない味がする牡蠣を《海のミルク》と言い表した人、口座残高990円になれ。
初めて牡蠣を食べたのは中学の頃、家族で食卓を囲んでいる時だった。
父と兄は美味しそうに食べていたが、若干グロテスクさを感じさせるそのビジュアルに引いていた私は食べるか否か躊躇していた。
しかし食べるのを躊躇していた私に父が、
「美味しいから食べなよ」
「みんな食べてるよ」
「いい気持ちになれるよ」
と、授業で受けたドラッグの例文のごとく勧めてきた。
ドラッグには手を出さないと心に決めている私だったが、「一口くらいなら」という気持ちが少しずつ大きくなってくる。
そしてついに牡蠣に箸を伸ばし、醤油につけて口に入れ咀嚼する。
グニャッ
ウオ゙オエエ゙エ゙エ゙
嘘みたいだが本当の話である。
詳しいことは不明だがその直後に何故か発熱し翌日は学校を休むこととなった。
意識が朦朧とする中、母から「実はお母さんも牡蠣食べられないのよね〜(笑)」と言われた。もっと早く言って欲しかった。好き嫌いは遺伝する可能性がある。これって研究対象になりませんか?全世界の科学者の方々、よろしくお願いします。
この牡蠣事件以来、『君子牡蠣には近寄らず』をモットーに生きている。別に牡蠣を食べなくても生きていけるし、牡蠣が食べれるからと言って生きていく上で有利になるわけではないのだ。就活の自己アピール欄に牡蠣が食べれるということを書いたらまず間違いなくヤバいヤツというレッテルを貼られるだろう。
人に好き嫌いを聞かれて牡蠣と必ず答えてはいるが、実を言うと反応には様々なパターンがある。
- 「えぇ〜」と驚く人
- 「まあ牡蠣は好き嫌い分かれるよね」と同意してくれる人
- 「俺は好きだけどね」と敵対心を燃やす人
他にもパターンはあるが、主な反応は上の3つである。
一番下の敵対心を燃やす人に関しては牡蠣と同様に近付いてはいけない。タイミングあらば無理矢理食べさせようとしてくることが起こり得るからだ。もしも一緒に磯丸水産へ行ったのなら【詰み】である。食べさせられたら最後、吐いたら説教が始まり、無理して食べたのなら克服したと勘違いして更に追加で注文されるだろう。
・最後に
自分の身を牡蠣から守る手段を得るためには、やはり周囲の理解と同時にアピールが必要である。
ということで下のようなアイテムを作った。
皆様にも是非使っていただきたい。
それでは。